あの人は今?〜浜松JCの功労者達〜第一回 秋山雅弘先輩編 全文
-------------------JC活動を通じて学んだこと-------------------
1年目(新会員)
浜松青年会議所(以下JC)に入会と同時に地域政策委員会に配属され、浜松のまちづくり・都市ビジョン・都市プランという、仕事とは違う分野に触れることができました。その事をメンバーが集まって語り合い、地域へいかに貢献できるかを学びました。その後15年が経った今でも、地域の発展の為に何が出来るか考えています。JC3信条(サービス・トレーニング・フレンドシップ)を肌で感じることができました。
2年目(指導力委員会 幹事)
幹事としてなかなか面倒くさそうな役回りの中で、「JCに関わる全てをやっていたら仕事ができなくなるかもしれない」と思い、会社で自分の秘書を増員し一部をやってもらいました。そのことにより2つの効果が生まれたのです。“自分に時間的余裕ができたこと”と“秘書が育ったこと”です。秘書として電話の掛け方や手紙の書き方等を覚えてくれて、その後の女性スタッフのパワーに繋がりました。
この年日本JCに出向し、“運営力と遊びがすごかった”という印象があり、2つを一度に覚えられました。
JCマガログ(マガジン・カタログ)作成にも携わりました。これは日本JCの財政を助ける目的でしたが、企業のカタログを作成し広告費を頂くための“営業”をすることになりました。それまでエンジニアの経営者のため、“営業”をしたことが無かったのですが、このことで営業も覚えられました。
3年目(全国大会開催特別委員長)
豊橋JC主管の全国大会があったのですが、浜松も副主管として開催に当たり、豊橋JC・日本JCとの連携・LOM内の取りまとめ等を行ないました。記念事業の担当は入会3年目の委員長にしては荷が重かったのですが、楽しさを覚えられ、JC3信条の全てが揃っていた1年でした。
4年目(地球環境室長)
東海地区協議会へ出向し“とうかい号”の運営に携わり、台湾・香港の寄港地へ先回りし現地JCとの交流・準備を深めることができました。会社の仕事だけでは関われないことでしたが、させられたのか、好きでやったのかわかりませんが、やらなければいけないことに頭を使ったものです。とうかい号=研修事業ということですが、受入先との連携に当たり英語でコミュニケーションをとりながらお酒も強くなりました。
5年目(副理事長)
副理事長は暇だと思ったので日本JCの地球環境特別委員会に出向しました。理事長の替えはいませんが副理事長には替えがいますので。日本JCがNGOとしてブラジルで世界環境会議を主催し会議の設営・運営を行ない、委員としてブラジルへ10日間行ってきました。“日本JCのすごさ”を体感し、やろうと思えば何でもでき、会議のプロではない人が会議をやってしまう、このような事はJCでなければ出来なかったと思います。
LOMでは組織論を覚えました。会議の運営・準備・段取り・企画・運営・手紙の書き方等・・・当時の浜松JCのメンバーは250名位でしたが、自分の会社の社員が250名になるまでは統率をとれる自信ができました。
JCで5年間走ってみたら学ぶことは山ほど有りました。今の自分はJCでの経験が全てだと言っても過言ではないと思います。会社の経営の中でこのようなことをやっていたら金銭的にも時間的にも難しいですが、アフター5の中だからできたのです。

続く