社団法人 浜松青年会議所
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理事長紹介
理事長 後藤 明
2007年度スローガン
ふりがな ごとう あきら
氏名 後藤 明
信 条 平常心是道
趣味・特技 ゴルフ、スノーボード、釣り

  LOM歴 出向歴(日本JC・地区・ブロック)
1999年 入 会
会員拡大委員会
-
2000年 市民参加のまちづくり特別委員会 幹事 ブロック:まちづくりインストラクター委員会 委員
2001年 音楽ネットワーク委員会 副委員長
地区:ヒューマニティデベロップメント
推進特別会議 委員
2002年 市民ネットワーク委員会 委員長 -
2003年 地区会務委員会 委員長
地区:事務局 会務次長
2004年 専務理事 -
2005年 副理事長 日本:総務委員会 副委員長
2006年 副理事長 日本:全国大会運営会議 副議長
基本方針

人は「わがものである」と執着したもののために悲しむ。
所有しているものは常住ではないからである。
この世のものはただ変滅するものである。
人が「これはわがものである」と考えるもの、それは死によって失われる。
われに従う人は賢明にこの理を知って、わがものという観念に屈してはならない。

(スッタニパータ八〇五、八〇六)


 人は何の為に生まれ、生き、そして死んでいくのでしょうか。その答えは我々人にとって、永遠に追いかけ続ける問いなのかもしれません。しかしただ一つ言えることそれは、人は幸せになりたいと思って生き続けていると言う事です。人はお金にも物にも不自由がなければ幸せでしょうか。人の欲望とは際限のないものであり、幾らお金があってもさらに欲しくなり、幾ら物があってもさらに欲しくなる。なぜそんなにお金も物も人は欲するのか。幸せになりたいがために欲しているのに、欲望を満たそうとすることのために幸せを放棄している。幸せと感ずるのも、不幸と感ずるのも、何々がほしいと感ずるのも、誰々を愛していると感ずるのも、自然が美しいと感ずるのも、人の心が生み出すものなのです。決して物では人は幸せにならないことを知り、過剰な欲望や執着を捨てたとき、世界から争いはなくなり平和へと向かい、今社会に蔓延している自分や、自分の周りさえ良ければいいという考えとは決別し、足ることを知らないこのような際限のない物欲にとらわれた時代から、豊かさを心の内面に向ける時代に変わる、物ではなく心が満ち足りた豊かな時代こそが人が幸せに暮らせる、豊かな社会なのです。
我々JCがなすべきことは、人として、組織として、更なる高みへ向かい、「世界」から物事を見て「地域」から「運動」を巻き起こす。そして過去から学び、明るい豊かな社会を未来へ紡ぐことです。実は過去の日本には、物質的には決して豊かではなくても、心が満たされた穏やかな社会がありました。我々は今こそ正確な歴史と、先人の知恵を勉強し、科学・物質の時代を超えて精神・心の時代、明るい「心が」豊かな時代へと進んでいくのです。

【GlobalからGlocalへ】
 地球をネットワークが覆い、企業が国境を超え、個人の情報が瞬時に星を駆け巡る。そんな時代には地域の文化、ナショナリティは必要ないのでしょうか?むしろ、国境も地域も越える時代だからこそナショナリティや、地域の持つ独自性、個人の持つアイデンティティが重要になってくるはずです。今まで言われてきたグローバル・スタンダードとは、地域性を考慮しないアメリカによるアメリカの為のアメリカン・スタンダードなのです。その全てが悪い訳ではないのですが、効率が全ての様なこの基準が支配する世界では、地域性や文化が御座なりになってしまう危険性があるのです。本来効率とは人が豊かになるためにあるはずなのに、物質的効率を優先するが為に人の生きがい、心の豊かさを奪うという本末転倒のことが起こっているのです。
世界にはそれぞれの地域が誇る文化、風土があり、この浜松にも世界を代表する企業が誕生した事が証明する様に、効率だけではない世界に誇る浜松の文化、風土があります。アメリカン・スタンダード全てを否定するのではなく、良いところは取り入れ、日本、浜松の独自のスタンダードを確立していく。古来日本人は様々な文化やシステムを独自に取り入れる能力に長けた民族で、過去様々な文化を独自の文化に融合させています。しかし、昨今は融合とは程遠い状態が続いています。効率ばかりを優先させた結果、テレビからは標準語という全国画一の言葉が流れ、全国何処へ行っても同じ様な景色が拡がっているように感じます。アメリカによるアメリカ主導のアメリカン・スタンダードが広まったのと同じように、日本では中央主導でスタンダードが作られ広められている為です。道路や橋、駅周辺部は街の顔になってしまう事が多いにも関わらず、特に画一化されてしまっています。中には地域の個性を生かした街づくりに成功した街もありますが、残念ながら現在の日本の地方都市では稀有な例でしょう。
この浜松を訪れて駅を降りて街を歩いた時、看板を見ないと浜松に来た事がわからない、浜松に来たと言う実感を持てないと言うことはないでしょうか?幾ら綺麗な街でも個性のない街に人は来てくれず、寧ろ多少雑多な感じの、個性的で賑わいが在る所に魅力を感じるものです。地域の個性とは何も視覚による物だけではありません。視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚の五感で感じるものです。聴覚で感じる事が出来る方言というのは、その地方が育んだ大切な文化の一部分であり、どんな土地にも固有の文化・歴史があります。建物のようなハードに頼るのではなく、言葉や食べ物、音楽のように五感に響くソフトに頼るまちづくりこそ、文化を守ること、創ることだと考えます。 創ると言うことの前に、我々は浜松の文化・歴史に誇りを持ち、きちんと理解しているでしょうか?海外に行くとよく言われる事ですが、自国の事が語れなければ恥ずかしい思いをすると言われます。全国40,000名の仲間がこの浜松を注目しています。まず我々浜松JCメンバーが浜松の地域性を再確認し、しっかり理解し語れる様になる事が急務であると考えます。多様な価値観を認め合う心豊かな世界を創るための、我々JCの担いは、この浜松から文化、経済その他のシステム、スタンダードを国、世界へ発信することなのです。

【Going Concern Value】
  ゴーイング・コンサーン・バリューとは、企業などが将来に渡って、無期限に事業を継続し、廃業や財産整理等をしない事を前提とした継続価値の事です。浜松青年会議所、いや青年会議所にゴーイング・コンサーン・バリューはあるのでしょうか。答えは全て我々会員の資質によるところが大きいのです。その為にも時代に合い、求められる、バランスの取れた、会員の資質を100%発揮出来る強い組織を作らねばなりません。 国家青年会議所(NOM)は幅広く国が抱える問題に対処しなくてはなりませんが、地域青年会議所(LOM)では、その役割が違い、浜松青年会議所は地域青年会議所として、地域に根付いた「運動」が出来る組織、「事業」中心ではなく市民変革運動、他団体や市民とのコラボレートをし易い組織に変わる時です。「JCしかなかった時代からJCもある時代へ」我々JCの継続意義は過去のノウハウから、様々な光を集束するレンズのような役割に変わっていくべきだと考えます。
もう一つの側面として、優秀な人材を育てる地域リーダーのゆりかごとして、エリートではなく、リーダーを作る事もJCの継続意義の一つです。偏った物の見方ではなく独善的でもない、様々な角度から一つの事象を見る事が出来る能力、これこそが今の時代に求められる能力であると考えます。広大なネット空間では真実も虚偽も入り乱れて存在し、星の数ほどある情報から真実を探し出し、有用な情報のみを選択する。これは実は多様な価値観を持っていなければ出来ないですし、戦時にあった様なプロパガンダに左右されない、真実に向かって進むリーダーを作り続けなければなりません。
JCの存在意義が無くなる時とは、明るい豊かな社会、真の世界平和が築き上げられた時です。他にJCの存在意義が無くなる様な事があってはなりません。我々は「JCを必要としない社会」、「明るい豊かな社会」構築を目指して日夜運動し続ける、それこそがJCの存在意義なのです。

【未来から託されている現在】
 悠久の時の流れの中で生きる我々現代人。我々に与えられた現代とは何処から来て何処へ向かうのか。誰から託されて誰に託すのか。現在とは過去から託された時代ではなく未来の子ども、後輩、子孫から託された時代なのです。我々は未来から託された現在を大切に使い、未来に渡す役目があります。同時に未来の人に、良い現在を使って貰う努力をしなくてはなりません。それが時間軸という概念から見た我々現代人の責務であります。
 人は果たして平等であるか?紛争地帯に生まれた子どもと、平和な地域の子ども。裕福な家庭に生まれた子どもと、1日1ドル以下で暮らす家庭に生まれた子ども。世界を見れば、生まれた地域、時期、家庭全てにおいて平等ではない事象で溢れているのが現実です。今の日本の教育では平等を声高に叫ぶあまり、「与えてくれる」「誰かが助けてくれる」という風潮を作っていると思います。「運命とは努力した者にのみ訪れる。」運命とは訪れるものですが、只待っていても訪れないのです。運命とは自ら切り開き、自ら取りに行くものではないでしょうか。努力しても駄目な事は沢山ある、しかし努力しなければ運命さえ訪れない。社会に出て、子どもたちがいきなりこのことに直面するが為に、ニートや凶悪犯罪等の現象が起こるのではないでしょうか。世界は平等ではないという前提で、逞しく生きる術を教えて上げる事こそ、厳しいが本当の愛情ある教育ではないでしょうか。
「逞しさ」ともう一つ実社会で必要なものは「自我」であるといえます。現在の日本では個性を重視した教育とか、そのためのゆとり教育だとか言われておりましたが、全国一律の個性を重視した教育とはなんでしょうか?全国一律で地域に根ざした個性ある教育が出来るのでしょうか?行政が行なう教育とともに、民間にしか出来ない個性を伸ばす地域に根ざした逞しい教育が必要な筈です。「日本に生まれて、浜松に生まれて良かった。僕は誰でもない僕しかいない、そしてみんなも一人しかいないんだ。」アイデンティティをしっかり持った逞しい子供、他人の個性「他我」も大事にする多様な価値観を持った子どもを育てる事が、これからの時代に必要な教育なのです。そんな子どもはどんな状況に陥っても自信を持って逞しく生き抜いてくれると信じますし、どんな状況になっても他人を思いやることを忘れない人になってくれると信じます。逞しい人が一人でも多く世界に増え、心豊かな穏やかで平和な世界になることを望みます。


行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。
行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。

(スッタニパータ六五二)


 我々Jayceeは40歳までの青年経済人の集まりです。20代、30代といえば、会社で一番働かなければならない、家族、子どもとも一番接点を持たなければならない世代ではないでしょうか。なぜそんな時に、儲かりもしない、家族も犠牲にする、自分の時間もなくなる、そんなJC運動をしなければならないのでしょうか。孟子の言葉の一つで、「天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その背骨を労し、性を忍び、その能わざるところを曾益せしむる所以なり」(告子章句下15章)天が重大な任務を人に与えようとする時には、必ず先ず精神を苦しめ心を発憤させ試練を与える、という意味です。我々は時代を同じくして浜松青年会議所という一つ所に集った青年経済人です。地域、未来の為に任を全うし行動した事を自慢するのではなく、謙虚に爽やかに青年らしくこの地域の為の礎になろうではありませんか。 我々はたとえ困難なことがあろうと、地域の為に率先して行動することを決して恐れてはなりません。なぜなら浜松JCには日本全国720の青年会議所、世界に拡がるJCI、時代を同じくして志を持った仲間がいるからです。この広大なネットワーを繋いでいる仲間、様々な価値観を持ちながら同じ志をもった同志を、利用し利用され切磋琢磨していく事こそが青年会議所の醍醐味であります。そしてこの大きな強みを生かして1年1年テーマを持って、各々が地域から理想に向かって着実に進んで行った者こそ、時代のソート・リーダー(実践的先駆者)として初めてJayceeと呼ばれるのです。

始めのころはなんとなく過ごしていました。
あるとき私は想いました。
こんな私でも「浜松」に恩返しできるなら色々やってみよう。
何か想った時に「それ」は始まるのです。
「それ」はなんであるのかはわかりません。
人それぞれ違うからです。
日々なんとなく過ごしていませんか?
行動に想いが重なったとき、「それ」は「運動」に変わるのです。

〜進もう、己が信ずる正義とともに〜


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